全国疎開学童連絡協議会 公式ホームページ〜子どもたちの戦争体験〜gakudousokai.com

絵物語

第2回 学童疎開の日の集い

2014年8月4日(月) かながわ県民サポートセンター711号にて

全国疎開学童連絡協議会と疎開問題研究会が共催で開催した。
第2回「学童疎開の日」の集いは、8月4日(月)13:30から、場所:横浜駅西口「かながわ県民サポートセンター」711号で、 40余人が参加して開催した。
今年は東京から「学童集団疎開」に出発してから 70周年になり、「昔の疎開 今の疎開」をテーマに5人が体験を語った。
最初に疎開協の阪上順夫会長が「国策として親から引き離された学童疎開悲劇を 二度と繰り返してはならないと、その原因となった戦争を無くし、平和を求めることを 悲願としてきた。
最近、秘密保護法、集団的自衛権、武器輸出など、 戦争への道を歩み始めたのではないかとの懸念が強まっている。
地震と津波、そして原発の爆発というという事態により、見えない放射能 を逃れて今も14万人もの福島の人たちが故郷と自宅を離れて「疎開」を余儀なくされている。 70周年の機会に「昔の疎開 今の疎開」ということで考えてみよう」と挨拶。
疎開問題研究会代表のゆりはじめさんは「明治欽定憲法のもと軍国主義で政治を支配していた時の 政府が推し進めた方策でした。
その苦痛に満ちた結果はわれわれが肌身で知っている疎開の事実です。 戦争を記憶する最後の世代の義務として、その実態を後の世に伝えるべく努力してきた。
戦争の時代への郷愁をもつ今の政府為政者への批判のアピールを行うことが後の時代への 最も誠実なプレゼンントと思う」と挨拶した。
その後、5人が体験談を話し、最後に「横浜宣言」を採択して終了した。

体験談アーカイブス

「疎開の思想とは?」

ゆりはじめさん(疎開問題研究会代表)は昭和30年代から「学童疎開」の考察をはじめ「疎開派」を提唱した。疎開研究の先駆者。著書『疎開の思想〜里で聞いたはなんの声〜』で次のように論じている。
「私は戦後の日本の現実を支えているもののひとつに太平洋戦争やその他のいくさで死んだ死者の意志が働いていることをアイロニカルに信じたい。ということは彼らの死をもたらしたものの本質を読みとることを後の世代がしない限り、彼らの死は全く無意味なものに代わってしまうからである。

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

体験談アーカイブス

「集団疎開、再疎開、縁故疎開」

柳川卓也さん(元東京新聞政治部記者)
東京渋谷区富ヶ谷国民学校6年生〜静岡県棒葉郡相良町へ集団疎開。
その後青森県弘前に再疎開。再疎開の時、列車は静岡から東京都内を通過したが途中、品川駅で停車。そのことを知った両親や家族が品川駅に詰めかけたが、子どもたちは列車から降りることを許されず、家族は列車内に入ることを許されず、母親たちは我が子の名前を叫びながらホームを走り回った。
このシーンは絵本『うちに帰りたい』にも描かれている。柳川さんはこの時列車内にいた子どもたちの一人だった。

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

体験談アーカイブス

「マスコミの伝えない本当の福島」

亀屋幸子さん(福島県双葉町から東京に疎開中)
亀屋さんは原発から1.2キロの福島県双葉町から東京浜松町に疎開しているが、30年は帰れないという。「私たちは地獄を見た。福島を放っておいて再稼働など許せない。双葉町を返せ!」と国会前で訴えた。
亀屋さんは語る。「一時帰宅を許されたバスの中から見た防護服に毒ガスマスク。これが日本かと涙が止まらなかった。花が好きできれいに整えていた大好きな自宅の花壇は背の丈以上の雑草に覆われ、家の中は泥棒に荒らされ、ネズミの死骸と大きな糞まみれ。東電は故郷と住まいを奪いながら十分な補償もしない。一軒100万円が口座に振り込まれたが、これは見舞金ではなく東電の貸付金で、賠償金から100万円が差し引かれた。初めに言ってくれれば、東電にお金なんか借りはしなかったし受け取らなかったと悔しい思いをした。家の賠償金の算定ではどんな高価な家具でも最高額20万円まで一つだけ。泥棒にあったのは知らん。いま自宅に残っているものだけという。話にならない。お金なんかいらないから故郷を返せ、自宅を返せと言いたい。

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

体験談アーカイブス

「戦争孤児の歩んだ道」

星野光世さん(東京荒川区在住)
東京本所区(墨田区)中和国民学校5年生で千葉県君津郡小糸村に集団疎開。
昭和20年3月10日の東京大空襲で両親と兄妹をを失い孤児となる。
残された妹と幼い弟の3人は一旦千葉県の母方の実家に引き取られるが、新潟の父方の実家に引き取られることになる。しかし実家の叔父は兵隊にとられ年老いた母と叔母が幼い3人の子どもを抱えてわずかな農業で生活していた。
そこへ3人が転がり込んだので、大変なことになり苦労を重ねた。

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

体験談アーカイブス

「集団疎開した箱根 奈良屋旅館の思い出と横浜の空襲」

伊波新之助さん(元朝日新聞社会部記者)
横浜市本牧の間門国民学校から箱根の奈良屋旅館に集団疎開。奈良屋旅館は江戸時代の創業で疎開を受け入れてくれた時は13代藤兵治ご夫妻の経営。
箱根温泉の中心とされた宮ノ下でホテルと覇を競った時期もあったが、洋風は富士屋ホテル、日本人向けの和風は奈良屋旅館と棲み分けて両者繁栄の時期を迎えた。明治天皇が宿泊滞在されたことで、箱根随一の格式ある温泉旅館として、広大な敷地は手入れの行き届いた庭園は竹林などで構成され本館の他に別館がその中に点在していた。戦後は国登録の有形文化財に登録された。

昭和20年5月の横浜大空襲で自宅は全焼。隣家の家族4人をはじめ死者多数。
3月卒業で帰っていた先輩にも犠牲者が出た。8月終戦、奈良屋旅館から両親の避難先、足柄下郡山北町に移る。

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

体験談アーカイブス

「詩の朗読」

特別出演 女優 堀絢子さん
大石規子作「小さな履歴書」より
「㈿ 疎開・空襲」
四年生の時 学童疎開が始まった
行かなければいけないのに 残留組
みんなが疎開してゆき 学校は寂しくなった
毎晩の警戒警報 空襲警報
露に足元を濡らしながら 夜中の防空壕へ急ぐ
疎開しなければ 危ない

五年生になってからの遅い出発
箱根宮ノ下の老舗旅館で 先発隊と合流
痒い かゆい 虱の歓迎 いじめにも歓迎される

畳の上で勉強する 隣に頭の大きな女の子
その子は病気で横浜へ帰った

五月二十九日 横浜大空襲
その子も死んだ 私の家も焼けてしまった
記憶の中の物いっさいが 消えてしまった
心の中の記憶は 年を追って ますます鮮明になる

知人の家族も 一家全滅も あちこちに
両親が亡くなり 子どもだけ残った家もあった

(画像をクリックすると発言者の動画がご覧になれます)

2014年第2回学童疎開の日「横浜宣言」
 

 子どもたちの戦闘配置とされた学童集団疎開の第1陣が東京から出発したのは、今から70年前の今日でした。私たち疎開学童は親から離された淋しさと飢え、しらみ、いじめ、寒さなどに苦しめられました。特に食糧不足は深刻でハミガキ粉をなめて飢えを凌ぎましたが、殆どの子どもが慢性的栄養失調状態でした。今、スーパーやデパートの食料品売り場にはあらゆる種類の食料品が並んでいます。当時、栄養失調のために命を落した子どもたちがいたことを思う時、食糧に恵まれた今日は70年間の平和の賜物であることは明らかです。

 しかし最近、政府は憲法を内閣の解釈変更で「集団的自衛権」を認め、日本を再び戦争をする国にして、自衛隊を海外に派兵しようとしています。

 もし「日本軍」が日の丸を掲げて海外のどこかで発砲し攻撃すれば、必ず日本が報復攻撃を受けるでしょう。そうなれば食料自給率39%の日本はどうなるか?海路空路の補給は止まり70年前の再現となってしまいます。

 1945年3月、卒業と進学のため帰ってきた6年生の疎開学童が見たものは米軍機B29による無差別爆撃による焼け野原と焼死体の山でした。中には犠牲となった子どもたちも多かったのです。

 しかし当時の軍部を中心とする国の指導者たちは戦争をやめず民間人、特に子どもと女性の被害が増大しました。更に広島、長崎の原爆投下によって一瞬のうちに十数万人が焼き殺されこの世の地獄が現出しました。戦争で、国内で310万人が犠牲となりアジア各地では2千万人余が犠牲となりました。

 この反省によって「日本国民は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という憲法を手にしたのです。武力で国際紛争が解決しないことは、現在パレスチナやウクライナでの紛争でも明らかです。武力行使は暴力には暴力を呼ぶ負の連鎖で泥沼化し、犠牲となるのは常に子どもたちや若者、そして女性です。

 この状況で日本政府は、過去の歴史の教訓に学ばず秘密保護法を作り集団的自衛権を容認し武器輸出をしやすくするなど戦争への道を歩み始めたのではないかとの懸念を持たざるを得ません。

 一方、2011年3月11日の地震と津波で東京電力福島原子力発電所が爆発し放射能が飛び散り14万人が家を失い、そのうち4万5千人は県外に疎開し、今なお不自由な生活を強いられています。この方たちは「生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されている」にもかかわらず、政府の対応は鈍く復興や生活再建の見通しもはっきりしません。また事故原因もはっきりせず、責任の所在も明らかにされず、使用済み核燃料の最終処分場も決まらないまま原発再稼働が進められようとしています。過去に起きたことに学ばず、同じことを繰り返そうとしている政府の対応は戦争も原発事故も酷似しています。

 私たちは戦争体験者、原発事故の体験者として、集団的自衛権行使に反対し、脱原発を積極的に進めることをここに決議します。

2014年8月4日

第2回学童疎開の日の集い参加者一同

全国疎開学童連絡協議会 疎開問題研究会

(全体の動画はこちらからご覧になれます)

(c) 2013 全国疎開学童連絡協議会